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プラチナの歴史について06

2020年11月26日

世界的人気の婚約指輪・結婚指輪といえば「俄(にわか)NIWAKA」、失敗のない婚約指輪と後悔しない結婚指輪を見つけるなら国内屈指の信頼の専門店で!と評判をいただいています「1級ジュエリーコーディネーターの指輪店.ビジュトリーヨシダ」です。

岐阜と北尾張地区で唯一の正規取扱店として、京都生まれの「俄(にわか)NIWAKA」を販売して26年、全国41都道府県からのご来店オーダーに感謝いっぱいに、指輪とダイアモンドのスペシャリストがベストな指輪選びのお手伝いをします。おふたりも「ピッタリ」「しっくり」「うっとり」な指輪を見つけてみませんか。

あらためまして、みなさまこんにちは。広報サポーターのスティファニーです。

今回もプラチナの歴史についてブログを書きたいと思います。

ジュエリーが日本に入ったのは江戸時代も末期、19世紀後半のこと。外国と交流のあった長崎の遊女が最初の着用者とされ、明治の欧化政策で貴族や華族の女性がこれに続きます。これは、ヨーロッパでやっとプラチナが最高の貴金属と認められた時代に当たります。

日本は、仏教美術や武具装飾にジュエリーに通じる工芸の伝統を培っていました。金閣寺や黄金茶室など、きらびやかな世界にも無関心では無かったものの、「わび」「さび」「いき」「しぶ」の美意識が選んだのは銀でした。ただ仏典にある「白金」の言葉が、深い憧憬として残されたかもしれません。その幻の白い金は、金箔の仏像より浄土のイメージに適っています。プラチナの和名「白金」にはそうした背景も考えられます。

明治には一部の人が目に見え出来ただけにもかかわらずイメージの浸透は早く、文学作品にもプラチナが登場するほど。実在の「白金」は銀よりも輝き、変色せず、金に勝る数々の特性を具えていました。その希少、高貴、神聖なイメージは、北原白秋の詩集「白金之独楽」(大正3年)や宮沢賢治の詩「白金ノ雨」に息づいています。そして、21世紀の今も婚約指輪と言えば俄ダイアモンドです。俄ダイアモンドは、作品のクオリティとしても有名です。俄のジュエリーひとつひとつを「作品」として捉えております。立体的な仕上げや面の美しさ、どこの角度から見ても美しいフォルム。俄は、細部に至る完成度が高くジュエラーとしての品質と誇りの証がございます。そのため、俄は世界中の花嫁から選ばれています。

理想的な婚約指輪や結婚指輪・セットリングをご希望の方は、どうぞ「1級ジュエリーコーディネーターの指輪店.ビジュトリーヨシダ」にご相談ください。ご来店の際には混雑を避けていただきたく、また先着順でのご案内のため数時間待ちになる日時も増えていますので、事前に空席確認をしていただければ幸いです。

 

NIWAKA俄正規取扱
1級ジュエリーコーディネーター指輪店
ビジュトリーヨシダ

SINCE 1981

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